「僕は頑張るよっ」

前置き
このサイトはライブの履歴と動画の掲載だけでいいかと考えていたが、やはり事ある毎に物を書かねばならないという気持ちがやってくる。だから、「随想」という形でその時々の記録を残していく。曲の紹介や解釈などが多くなると思うけど、あくまで私個人の考えであり、数ある考えの一つに過ぎない。しかし、誰かの視野が広げられるようには努めたい。

僕は頑張るよっ

社会が落ち着かないとき、それがたとえ自身の生活から遠く離れた場所のことであっても、精神的に参ってしまうことがある。多分昔はそんなことなかったような気がするけど、歳を重ねるにつれて感受性が強くなっていっているのか心がしんどくなり、時には泣きそうになる。
そういうときいつも、「僕は頑張るよっ」を聴く。

2011年3月31日に「僕へ」というコメントと共にこの曲がアップされた。東日本大震災から2週間と少ししてからという時期に。

「僕は頑張るよっ」という曲を私は「の子が死んでしまいそうな自分を奮い立たせるための曲」だと解釈している。ずっと見続けているファンの方々にとっては当たり前のことかもしれないけど、の子は曲作りもライブパフォーマンスも配信も自分のためにやっている(参照:大阪駅のラスト)。だから、この曲も自分のためであり、それを強調するかのように「僕へ」というコメントが付されている。
しかし、そうは言うものの自分のためだけではない曲なんだろう。多分、自分のための曲であることを強調することによって、リスナーにも僕は頑張っているよと語りかけている。閉塞感漂う社会においてきっとこれがの子なりの励まし方なのだろう。


歌の解釈となると歌詞の一部を取り出して解釈を述べることが一般的であろうが、特にこの曲に関しては全てのフレーズが良くて選びきれない。「子供にも親父にも眠れない夜がある」とか「正直に息できる朝5時が気持ちいい」とかこんな歌詞他に誰が書けるのさと言いふらしたくが、今回はここを切り取る。

りりりりした街で 閉鎖された心は
カーテンすら開かない だからこじ開けるんです

歌詞の全てのフレーズは最後の「僕は頑張るよっ」に繋がっていくんだけど、その中でも特にここが好きだ。気が滅入りそうなとき、なんなら2011年3月当初の私は厭世的になっていてこのまま世界が終わってしまうんだろうなあと思いながらこたつと毛布の中で半分生きていて、半分死んでいた。
こういう状況の時ってもう終わってしまえばいいのにと思うのと同時に考えすぎてこのままでいることも怖いと思ってしまう。だから、自分のためにも無理矢理にでも歩かなければならないと感じる。閉鎖された心はカーテンすら開かないからこじ開けて前を向くんだと。

前述した通りこの曲はの子がの子のために作った曲ではあるが、同時に聴いている私たちも救う曲である。リスナーもみんな神聖かまってちゃんと同じで、繊細で脆い人たちだからこそこの後ろ向きなようで前向きな曲が響くのだ。
他の人が同じ解釈をしているかどうかはわからないが、死にたいと繰り返す数以上に生きたいと思っているのが神聖かまってちゃんだ。まともに生きたい、一番生に貪欲なアーティストだと私は思っている。
この曲の歌詞には「死ぬ」というワードが頻出する。しかし、この「死ぬ」にはネガティブな意味は込められていなくて、誰にだって訪れる普遍的な事実として死ぬことを描写している。そうすることによって逆説的に生きたい気持ちを表している。きっとそれはリスナーも同じなのではないだろうか。

2012年12月26日、

ちんぐさんが撮影した僕は頑張るよっは2012年12月26日のライブが初めてとなる。オリジナルの動画はおとなしめの演奏になっているが、ライブではとても力強い、そして精神解放するかの如く感情をむき出す。どの場面を切り取ってもかっこいいんだけど、やっぱりラストがかっこいい。
必死に必死にあがきながら生き続けていく、まさに今自分はここで生きていると表現するかのようなギターソロが耳をつんざく。全部全部俺なんだと、歩き続けるんだと。

私が神聖かまってちゃんを好きな理由の一つは感情を全部正直にぶちまけてくれるからだ。この動画の最後の「みんな死ぬよ」からのところなんかめっさ感情が出ている。
音楽は昔から好きだ。でも、ライブに行くのは楽しいからとか素敵な歌声を聴きたいからとかそういうのだったように思う。かまってちゃんのライブはそれ以上に必死に表現しているみんなが見られるから行くのだ。このライブだけでなく全てのライブでそうだからやっぱり好きなんだ。

歌われていく曲

「僕は頑張るよっ」はベストかまってちゃんで榊いずみさんが、聖なる交差点であのちゃんが歌っている。ここまでの解釈はの子が歌う曲だからこその解釈でもあった。ファンからすればの子という存在について一定の理解がある。だからこそ、そのの子が歌う「僕は頑張るよっ」を勝手に解釈して自分を歩かせるための曲にできる。

一方で、私はこの2人がどのようなアーティストかは存じ上げない。だから、それぞれのファンにとってどのような意味を持つ曲になるのだろうかと興味がある。いや、それを伺いにいくようなことはしないけども。
どちらもYoutubeでも聴けるから聴き続ける中でどういう曲であるかを言語化していきたい。


2024年は年始から大変で、少ししんどくなってしまう。だから、今また聴きに来た。私にとっては自分が頑張るための曲である。
度々死にそうになる中でまた見て、僕は頑張るよっ Yeah!

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